2008年03月31日(月)

「年を取ったと感じるのはどんな時ですか?」
この質問は世間一般で良く聞きます。
一番はやはり体力面をあげる人が多いでしょう。
私の場合 ”昔は全てのバーゲンを制覇する位のパワーがあったけど、今は少しくらい高くても空いているお店でゆっくり見たい” です。
「年を取る」=「老い」
部品は長く使っていれば磨耗します。
機械ならば部品を取り替えれば寿命はそこからまた数年延びますが、生き物はそうはいきません。
ですが科学の進歩でその生き物も人工物を取り入れることで寿命を延ばしています。
俗に言う「神の領域」と言われる世界です。
部品をどんどん入れ替え長く生きられたとしても終わりは必ず来ます。
生き物は決して「老い」から逃げる事は出来ないのです。
そして「老い」の先に「死」があります。
個人的に「不死」は望みませんが、出来ることなら「不老」で生きたいです。
「死んだらどうなるの」とか「宇宙の果ては」という疑問を突き詰めて行くと、霧の中に迷込み最終的には宗教の世界に逃げざるを得なくなります。
それで納得がいくのであれば「救い」と言えます。
考えること論ずることで人は進歩して行くのであって正解を望んでいる訳ではありません。
むしろ答えが分からない、曖昧な世界だからこそ生きられるのだと思います。
ここまで読んだ方は「つまり何が言いたいの?」「何かあったの?」と思いますよね、その説明をするともっと長く訳の分からない文章になるので止めます(霧の中にいるのかもしれません・・・)
世の中、色々な事が起こり過ぎまた情報が氾濫しているので、何が正しく良いかの判断が難しいなぁという事、プラスたまにはちょっと難しそうな事を書いてみたかっただけです

またいつもの猫・海ブログに戻ります。

第二の宇宙、海にはいつでも行けるけど元祖の宇宙には行けそうにないな~。
♪ ランキング参加中 ♪ 記事が楽しかったらポチっとな ♪




最近のコメント